渡辺 学

わたなべ まなぶ
日本共産党川崎市議会議員(幸区)

プロフィール


市民と力あわせ
子育て・福祉・くらし優先の市政に

安倍9条改憲、消費税10%増税ノー

ごあいさつ

渡辺学「ひとり一人が大切にされる社会」を実現することを信条に活動しています。「格差と貧困」がますます拡大し、生存権そのものが奪われている現状があります。自治体の役割は「住民の福祉の増進を図ることを基本」として自主的に実施するものとされています。市民生活を守り、誰もが安心して暮らせる市政実現に全力を上げます。

略歴

1952年新潟県五泉市生まれ。新潟県立新津工業高校卒、(株)東芝・関連会社に35年連続勤務。2015年川崎市議会議員初当選。
現在市議2期目、市議会健康福祉委員会(健康福祉局、病院局、消防局)委員、大都市税財政制度調査特別委員会委員。

幸区南幸町在住。家族は妻と2男1女。

渡辺学ってどんな人?

新潟県の農家に生まれる

バスケット部(前列右端) 1952年新潟県五泉市で、男3人の次男として生まれました。家は兼業農家で、父が大工業を営むかたわら、母と田畑を生業としていました。蒲原平野のJR磐越西線沿い、水田が広がるなかでのびのびと暮らしました。
中学校ではバスケットに熱中し、夏は下駄ばきで学校に通っていました。当時は下駄ばきが当たり前、それが大人の証しといえる時代でした。(写真:バスケット部(前列右端))

東芝小向工場に就職

職場の仲間と登山(左端) 新潟県立新津工業高校に入学。卒業後、東芝小向工場に就職しました。しばらくして東芝労組の青婦部に関わるようになりました。ある職場で生理休暇が取りづらいとの声が寄せられ、アンケート調査の結果、事実であることがわかりました。課長と話し合いを持ちたいと組合執行部に申し込みましたが、組合側は許可しませんでした。反対にその行動が上司に伝わり、「第2組合でもつくる気か」とあらぬ疑いをかけられる始末。「職場を良くしたいだけですよ」と反論したものの、労働組合と会社とが一体になって、働く人々の要求をつぶしてくる実態を初めて実感しました。(写真:職場の仲間と登山(左端))

入党、そして差別

労音第九合唱 そんな中で、持ち前の正義感から日本共産党の一員となって社会変革の立場に立った人生を送りたいと入党。当時、東芝は、公安警察官を雇い入れ、秘密組織「東芝扇会」の育成・指導にあたらせ、民主的労働組合活動に取り組む労働者に対し、賃金・資格・役職・登用・仕事などで見せしめ的な差別をしており、活動家は日常的に差別を受ける毎日でした。しかし、楽天的な性格で、攻撃をふんわりと跳ね返し、仲間の信頼も得て、職制も執拗な攻撃をしづらかったようです。この頃、職場の仲間と「よい音楽を安く多くの人に」をスローガンにかかげる「労音」活動にかかわり、その活動は「俺たちの交響楽」という映画にもなりました。(写真:労音 第九合唱)

保育園保護者会活動の中心に

保育署名提出 労音活動の中で妻と知り合い、結婚。生まれた子どもを保育園に預け、役員を引き受けたことから、保護者会の活動をはじめました。保護者がつながることが必要だと幸区連絡会をつくり、その後、川崎市保育園保護者会連絡会(全市連絡会)の代表世話人を引き受けることになりました。全市連絡会では、公的保育の充実とともに特に力を入れたのは、乳幼児医療費無料化の拡充です。
保育園保護者会活動の中心に 子どもが中学校に入ると今度はPTA会長に押されました。役員だった方との交流は今も続いています。また、障がいを抱えるわが子のために、市の障がい者施策についても取り組んできました。
2015年の市議会議員選挙で当選。現在、健康福祉委員として、障がい児・者の夕方支援の拡充や特別養護老人ホームの待機者解消のため力を尽くしてきました。

渡辺 学

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